“ambitious”の意味

ちょっと仕事で10日程アメリカに行っていた。

特に興味深かったのは、アメリカという国における“ambitious”の意味についてである。仕事の関係上、社会活動やボランティアを積極的に行なってる大学やNPOのような組織を見て回ることが多かったのだが、いずれの組織に関わる人々も凄く積極的で、常に新たな活動の展開を模索している様子が印象的だった。

私の個人的な印象かもしれないが、日本における「ボランティア」のイメージは、「真面目さ」「実直さ」「誠実さ」「優しさ」というものが強く、活動を拡大することよりも維持することを優先するようなあり方が重視されているような気がする。しかしアメリカのそれは、どうも違うようだった。

Tシャツなどのグッズを積極的に作って販売し、運動の資金を捻出しようとするLGBTについての団体とか、老人介護ために数十もの文化講座をボランティアを中心に運営している団体とか、果ては外国からの留学生を援助するため?にコーヒーを売っている大学生まで、とにかく「今ある現状をちょっとでも良くする」ために、「何ができるか」を具体的に考えて、前に進めたり拡大しようとする姿勢が物凄く感じられた。

その際、同行していたカナダ人の同僚が、ある組織の代表者を指して「彼はとても“ambitious”ですね。」と言ったことが、すごく腑に落ちた。そうか、“ambitious”ってそういう意味なのかと。

クラーク博士の「少年よ、大志を抱け。」で知られる“ambitious”であるが、辞書的な意味としては「遠大な望みをもつ」以外に、「野心的な」という訳がある。でも日本語で「野心的」というと、ちょっと「山っ気がある」とか「堅実さに欠ける」というようなネガティブなイメージも同時に想起されがちかもしれない。

一方、アメリカにおける“ambitious”とは、正に「野心的」かつ「積極的」「拡大的」で、そのことはボランティア団体のような、一見すると経済や利益といったものとは相反するような場面においても、常に大切にされている価値観なのだろう。そのことを、強く印象付けられたアメリカの旅だった。

久々のブログで、ちょっと真面目で長い文章になってしまったけど、今の自分の“ambitous”な気持ちの表れかとも思うので、あえてこのまま残しておくことにしよう。


 © 小笠原 拓 2015