約40年前の雑誌記事で考える“鳥大っぽさ”(てらがき@ゆき)
投稿日:2015年9月3日

「なんで『スペース』を知らんの?」

とあるゼミの日、今日も先生の口から私たちには初耳なワードが繰り出される。(この話題が出てからかなり時間が経っているので、言い回しはうろ覚えです)

先生:君ら、『スペース』っていう雑誌は知ってる?
てらがき@:…知らないですねぇ。何ですかそれ?(´・ω・`)

そして、上記(小見出し)の突っ込みをいただく。で、『まちの本 スペース』〈1980年代に鳥取市を拠点に発行されていたミニコミ雑誌〉について解説されるゼミ生一同。その直後、先生の発言に私は耳を疑う。

先生:その『スペース』の創刊号で、鳥大生が…何というか、ディスられてる?感じなんよね…。
てらがき@:え?!なんでですか!( ;∀;)

ということで、「それは聞き捨てならない」的なテンションになったてらがき@がその真相を確かめることに!

先生からの情報によると、『スペース』創刊号は県立図書館に所蔵されているとのこと。(鳥大にはないそうです…)80年代の鳥大生はどんなイメージを持たれたのか?調査開始!ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

 

「権利者」という壁

今回のターゲットは雑誌、つまり著作権やら何やら、諸々のハードルが高い。先生にも「写真をHPに載せていいか図書館の人に確認して!」とご指導いただいた。(卒論研究のための練習もになる!?)

所蔵されているのは郷土資料室(2階)の書庫。職員さんに閲覧を希望し、ご対面を待つ。待つこと3分ほど。『スペース』創刊号(0号)の表紙がこれだ。 

 
オシャレな表紙や!と心の中でリアクションしました。

ここで、職員さんに当サイトへの掲載について話を切り出す。

て@:(かくかくしかじかで…)写真を使っても良いでしょうか?
職員さん:ホームページですか~それは権利者の許可がないと難しいですね~。
て@:(そんなー!)き、記事は遠目から撮影しますので、一字一句読めるようにはしませんから…。
職員さん:う~ん…そうだとしましても、良いですよとは言えないですね~。
て@:わ、分かりました…(玉砕である)。

しかし、こんなことで諦める訳にはいかない。こんなこともあろうかと、実は奥の手を用意しておいたのだ。

 
当時編集に関わっておられた西尾肇さんのtiwtterページ

西尾肇さん。雑誌『スペース』のことを調べるに当たって、当時この雑誌の編集に携わっておられた人物の名前を後輩の山本さんから聞いていたのだ。幸い、twitterだけでなく、facebookのページも開設されているようだ。という訳で、早速、sns経由で連絡を取ることにした。 

事情を説明すると、創刊時の発行人の方は県外に転居していて連絡が取れないとのこと(ドキッ)
但し、事情を聞く限りは著作権法上の「引用」の範囲を守っている限りは特に問題はないはず、とのこと(ホッ)
さらに、記事をアップした際には是非連絡してほしい、とのありがたい励ましの言葉まで頂く
(ヤッター!)

という訳で、無事、権利者という高い壁を乗り越え、写真を掲載することができることとなった。

※西尾肇さん、ご協力、有難うございました。撮影を許可して頂いた鳥取県立図書館の職員の方々にも感謝を申し上げます。なお、万が一、引用の方法等の不備にお気付きの方がありましたら、当サイトまでご一報ください。


もっと燃えてみようよ!鳥大生!!

ではではさっそく、例の記事を拝見。


「倉吉のページ」というコーナーの一部のようです

え~と肝心の記事は……あった!左ページの下に「鳥大学生」の文字が。あれ…?うつむいて三角座りをする青年の絵が描かれている。鳥大生ですか?


すごく悲壮k…(もとい)哀愁が漂っているなぁ~

執筆者は、あくまで私的な考えだと前置きした上で、当時の鳥取大生のイメージを綴っていた。要約すると、 

・まず「何かに燃えてみようか」という学生がいない
・個人的にはやりたいことがあるが、その思いをぶつける対象物が見つからない
・なので、平凡な日々を過ごして卒業を迎えることになる
・原因は、湖山町ののんびりした雰囲気や他大学が周りにないことか?

うー…ん、、、あながち否定できん!(おい!)

確かに、鳥大生に「鳥取はどう?」と聞くと、県外出身者の中には「のんびりした感じで勉強に集中できそう」という感想を言ってくれる人がいる。だが、それは裏を返せば〈刺激が少ない〉〈面白いことや楽しいことが見つけにくい〉場所ととれる。

カナシキカナ…マコトニソノトオリデス…。(反論を試みない従順さよ…)「客観的に見ると鳥大生ってこんな風に見えてるんかな~」と、再び玉砕を食らうてらがき@であった。

ちなみに右ページから左ページ上にかけて書かれているのは鳥取女子短期大学(現・鳥取短期大学)の記事だ。当時の学生たちが、充実した短大ライフを記事にしているようだ。「これぞ学生の瑞々しい姿だわ…」とリア充の大波に打ちのめされた気分だ。(う、羨ましくなんてないでっ!)


改めて“鳥大っぽさ”について考えると…

約40年前の記事なのに、見事に現在の鳥大生の雰囲気を言い当てられている感じがして、ちょっとびっくりした。40年たっても、鳥大生の本質的な部分はあまり変わっていないということなのだろうか…

確かに、鳥取ののんびりした空気感の威力が、若者特有の好奇心の強さを上回っているのかもしれない。部活動で青春!みたいな燃える気質の人は、自分の好奇心を満たす何かを見つける力があるのだろうが、それは、てらがき@のような人間には到底理解できない世界である。(私の心は2次元で満たされてますから!)

だがまぁ、本人が良ければそれでいいんだと思う。私も含めて。そういう若者が集う、ある意味で希少な大学だと思えば…な。(苦しいなぁ…) 


次のページは、鳥大の構内マップと学部の紹介でした(タイトルがまた何というか…)


おわりに〜雑誌『スペース』は当サイトの大先輩?〜

言い忘れたが、この『スペース』という雑誌は、当初、鳥取の若者たちが集まって言わばボランティアで作っていたものである。私たちも「鳥取の楽しさを知ってもらいたい」と思って勝手にこんなサイトを作っているけど、言わば、同じ志をもつ大先輩にあたる雑誌と言えるのかもしれない。

そういえば、私の記事の中にもしばしば鳥取の「自虐ネタ」的な記述が入りがちになるのだが、今回、紹介した記事にもそういう意味合いがあるのではないだろうか?(「鳥取への愛ゆえの」みたいな…)

いずれにしても、他にも面白い記事がたくさんあるので、また機会があれば紹介したいと思う。


引用文献(本文内掲載画像)スペース編集室『まちの本 スペース 0号』1978.12.18発行 表紙、p.30~33 より
※当然ですが、画像の2次転載、加工はしないでくださいね(^^♪今回は特に、著作物の画像なので一応。

  

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