夏休み特別企画【エッセイ・私と地域④】
近くの他人(まる坊や)
公開日:2025年8月21日

「さっき、結果発表を見に行って、合格でした。四月から鳥取大学に通います。」

家への帰り道、真向いの家に住む川田さんにばったり会ったので報告した。

「それはそれは。おめでとうございます。」

川田さんは右腕を大きくあげてにっこりと微笑んだ。今まで進路の報告なんて川田さんにしたことはなかったが、このときなぜか私は川田さんに伝えたくなった。 

小学三年生の春、私が今の家に引っ越してきてからもう十年以上経つ。おそらくその何十年も前から川田さんはそこに奥さんと二人で暮らしているのであろう。

学校に向かう途中、「おはようございます。」と挨拶すると、川田さんは右手を大きく上げてにっこりと微笑んで「いってらっしゃい。」と返してくれた。

学校終わりに家に帰っている途中に会った時にも、同じように右手を大きく上げてにっこりと微笑んで「おかえり。」と言ってくれた。

毎年夏になると、岡山で暮らしている息子さんから貰った桃や川田さんが畑で育てたトマトやきゅうりをおすそ分けしてくれる。小学生の頃の夏休みに暇を持て余した私は弟と一緒に川田さんの畑に遊びに行ったことがある。川田さんの畑は家から少し離れたところにあり、畑の隣には青く色塗られた木造の小屋がある。

急に畑を覗きに来た私と弟を川田さんはにっこりと微笑んで迎えてくれた。川田さんは私たちを青い小屋の中に入れてくれ、お茶とお菓子を出してくれた。川田さんの秘密基地にお邪魔させてもらったみたいでとてもわくわくした。

私が高校に通い始めると、川田さんの家の前に停めてあった車を見なくなった。代わりに朝と夕方に、デイサービスの車が停まるようになり、川田さんの奥さんがゆっくりと車を乗り降りする姿を見るようになった。川田さんも畑まで自転車に乗って向かうようになった。

高校時代は部活で朝早く家を出て夜遅くに帰ってくることが多かったためか、川田さんと会うことが少なかったが、大学に入学してからは川田さんと会うことが増えた。挨拶するたびに右手を大きく上げてにっこりと微笑んでくれる。何気ない話をすることも増えた。 

「今日は暑いなあ。朝は寒かったのに。」

「ほんとですね。体気を付けてくださいね。」

「どこかお出かけですか?」

「ちょっと銀行に行こうと思ってな。」

「そうですか。お気をつけて。」 

特に中身のない会話を交わすことが増え、深い話をしているわけではないがなぜか大学入学前より距離が縮まっているような気がした。 

大学一年生の秋、友だちに連れられて駅前に新しくできた占いに行った。赤髪ショートカットのおばちゃん占い師があまりにうさん臭く、はじめは半信半疑であったが、自分の思いや考え、今までの人生のことをズバズバと当てられ、私も占い師に心を開いて色々な話をした。

「あなたの周りに丸い眼鏡をかけた少しふくよかなおじいさんおらんか?多分若い頃は男前そうな…」

心当たりのある人は一人しかいなかった。

「その人が、最近すごくあなたのこと気にかけてる。その人と話をしたり、何かもらったりするたびにあなたの運気上がっていくわ。」

私は占い師に川田さんの話をした。子どもの頃畑に遊びに行ったことや最近よく話をすること、毎年桃を貰っていること。桃は中国ではものすごい縁起ものらしい。話を進めていると、急に占い師のおばちゃんがふふっと笑った。

「あぁ、照れとんさるわ。あんまり自分の話をするなだって。」

にっこり微笑む川田さんが頭に浮かび、川田さんらしいなと思った。 

大学二年生になった春、川田さんの奥さんが亡くなった。家の机の上にあった会葬御礼の品と一緒に置いてあった会葬礼状に目を通した。川田さんの奥さんは歯科医院の受付として長年勤めていたらしい。数メートル先に暮らしている人のことを私は何も知らなかった。亡くなってから川田さんの奥さんのことを知ったのだと思うと少し切なかった。 

数日後、川田さんに会った。奥さんが亡くなってから会うのは初めてで、なんと声を掛けたらよいのか分からず少し戸惑ってしまった。

「こんにちは。」

「こんにちは。」

川田さんは右手を上げて微笑んだ。 

川田さんがどこで生まれて、なんの仕事をしていたのか全く知らない。たぶん川田さんも私の下の名前や、何を目指して今大学で勉強しているのか知らないだろう。しかしそんなことは知らなくても、顔を見て挨拶を交わすことで何か伝わってくるものがあった。


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 © 小笠原 拓 2015