真夏の真夜中海辺にて(松本円佳)
公開日:2022年7月26日


真夜中の海(何も見えない…)

「海に行かん?」

7月も、もう中盤を迎えようとしている(この文章を実際に書いたのは、公開日の2週間前です)。うだるような蒸し暑い毎日が続くが、皆さんは週末をどのように過ごしているだろうか?私は沢山の課題と試験で辟易している…。

今回のブログの内容は、そんな真夏の真夜中、何気ない私の週末を紹介する。

私には仲の良い先輩がふたりいる。いつも笑顔で誰にでも優しい先輩と、美人でさっぱりと裏表がない先輩。週末はそんな仲の良い先輩ふたりとご飯を食べていた。お酒こそ飲んではいないが、楽しくご飯を食べ、日付も変わるしそろそろ帰ろうか、と先輩が車を走らせている時だった。

「なあ、海に行かん?」

前触れもなく、ハンドルを握っている先輩がぽつりと呟いた。


道のり、15分

私ともうひとりの先輩は「行こう!」とテンションが一気に上がった。このふたりと一緒にいると何故だか家に帰ることが切なく、とてつもなく寂しいのだ。まだ帰らない理由が出来て嬉しかった。

道中、「腹が減った!」と閉店ギリギリの某ハンバーガー店に駆け込む。女子大生という生き物はご飯を食べても、また追加で食べ物を腹に入れられるのだ。

各々がハンバーガーやナゲットを買い、海へ出発した。(優しい先輩がトイレに寄らせてと言っていたが、快諾した数秒後には忘れて申し訳ないことをした)


夜中に爆食、これぞ至高!


鳥取の海とハンバーガーと私たち

海に到着すると日付が変わったにも関わらず、何組かのグループが既にたむろしていた。どうやら大学生らしく涼みに来ているようだった。

しかし、真夏の真夜中の海は気持ちいいなんてものではなく、じめじめと空気が肌に密着してくる。湿気が湿気を包んでいるようだった。海水が蒸発しているのか、どこを見渡しても白くもやがかかっていた。

遠い海の向こうにはちらほらと漁船の明かりが見えて、遠く離れているはずなのに、陸にいる私と海にいる名前も知らない誰かが一直線に繋がっている不思議な安心感があった。


私たちは整備されたコンクリート部分に座ると早速ハンバーガーを食べた。正直頭の中はハンバーガーでいっぱいだったのだ。


ゴミは持ち帰りました。

「海、ちょっと入ろうや」

食べ終えると車を運転していた先輩が「海に入ろうや」と提案してきた。この際断る理由なんてない、私たちはサンダルを脱いで海辺を歩いた。

足首まで入ると、案外海は冷たく心地よかった。波が押し寄せては戻っていき、そのたびに足の裏の砂が動いて、まるでいきもののようだった。

「けっこう気持ちいいやん」などと話しながら、白く小さく泡立つ波のはしっこをしばらく眺めていた。


真夏でも海の水は意外と冷たい。


この夏は一生で一回だからこそ

砂も落として車で送ってもらい、家に帰った。この時には楽しい記憶でいっぱいで寂しいという気持ちはほとんどなかった。しかし、こうしてその時の記憶を振り返りながら文字におこしてみるとあの夜には絶対に戻れないのだな、と実感する。

先輩たちは四年生で、来年の春には卒業してしまう。鳥取の夏も今年で最後だろう。

これまでの夏もこれからの夏も最高であったし、最高になるのだけれど、若い時代の夏は一瞬で終わってしまう。私にとってはずっと忘れられない思い出になったのだが、先輩たちにとっては夜中にハンバーガーを食べて、海に入った記憶は単なる思い出の一つかもしれない。

それでもあの時、あの瞬間の私たちはきっと未熟で若い、だけれども、尊く刹那的なうつくしさを持っていた。その思い出が残っていること、うつくしいと感じられただけで、私はこの夏を堪能している。

将来、年齢を重ねるごとに、そのうつくしさはより濃く、宝物になるのだろう。


なんだか重たい記事になってしまったが、どうしてもこの時の気持ちを大切にしたかった。皆さんもぜひ、素敵な夏にしてもらいたい。


大好きな先輩ふたりに、幸あれ!

 © 小笠原 拓 2015