楽しさは後から…

学生が写っている記事はやっぱり楽しそうである。学生には、「ほんの少しだけ自分を出せばいい(無理やりリア充を演出する必要はない)」と指導している。とはいえ、写真が楽しそうな雰囲気を演出するのは間違いない。

若者が楽しそうにしているのは、それだけで絵になるということなのだろうか?それはそれで正しいとは思うが、私自身はちょっと違う意見をもっている。と言うのも、やっている最中は、けっこう「自分たちってけっこうバカっぽいな」という気分をもちながら、やっているからだ。

無論、それは楽しくないということではない。それはそれで楽しいのだが、熱中して楽しくて仕方がないという感じというよりは、「他人から見てどんな感じがするんだろう?」「けっこう、バカっぽく見えるのではないのかな?」という心配が半分ぐらい心の中を支配している感じではないかと思うのだ。

で、実はそういう時の記事の方が面白い。面白いだけでなく、結果として「あの時は面白かったな〜」という記憶だけが残るような気がする。

書くことによって、後から感じる楽しさのようなものがあるのではないか?そして、そういった楽しさが、自分だけでなく、他人をも楽しませるのではないかと思う。


 © 小笠原 拓 2015