インプットかアウトプットか

日本の教育について、「インプット中心でアウトプットが不足している」というのは、よく言われる批判の一つだ。何となく「そうかもしれないな〜」と中途半端に同意してしまいそうな、そんな意見ではある。

ただ、経験則的に言わせてもらうと、アウトプットの機会をたくさん与えれば、それで何かが言えるようになるかというとそうでもない。学校の先生なんかはよく分かると思うが、アウトプットを強要された子ども達は、「ああ、これは義務なんだな」と理解して、「それなりに」帳尻を合わせたものを提出してくる。

当然のことながら、そうやって提出された作品に魅力的なものはほとんどないし、その課題を通じて新たに学ぶこともほとんどない。結局、インプットだろうがアウトプットだろうが、義務付ければそれで向上するほど、教育は甘くないのである。

大切なのは「やってみたい」という思いと「でもできない」という現実の、ちょうど良い距離感なのだろう。「やってみたいけど、ちょっと難しい」という状況に置かれると、人は努力するし工夫もする。そういう努力や工夫を通じて人は様々に成長する。

何が言いたいのかというと、「だから強要したりしないので、自分自身のためにも、そろそろ記事を書いてくれよ〜」という学生達へのメッセージである。


 © 小笠原 拓 2015