シリーズ〈鳥大の先生に聞いてみよう!〉
岡村知子先生(地域学部国際文化コース)編(松本円佳)
公開日:2023年2月11日

はじめに

読者の皆さんはこれまで学校に通った経験の中で、「先生」という存在をどのように捉えているだろう?

温和、友好的、厳格… 

私達が想像する「先生像」には自身の経験に基づいたものが大きいのではないのだろうか。私の場合、中学時代の部活の顧問はとても友好的で、まるで友達のような関係性だった。しかし、それは「担任」や「顧問」といった児童・生徒に身近な存在で関わりが深いからこそ、私達の経験や記憶に強く残っているのである。

では、大学の「先生」は…?

多くの「先生」は短くて半年、長くて4年間という年月の中で、私達学生と主に講義を通して関わることになる。しかし、講義の中には100人以上の学生を抱えていたり、4年間という長い付き合いでもゼミの「先生」一人に限られるだろう。学生は単位さえ取得できれば良いというスタンス、「先生」は学生の顔と名前も一致しないまま全講義を終える…

つまり、何かよっぽどのことがない限り、大学の「先生」と深く関わる機会はそうないのである。

そこで私が所属する小笠原ゼミでは、学生時代含めた過去、卒論内容、また日常生活から趣味という広範囲にわたる内容を鳥取大学の「先生」方に伺い、大学の「先生」の魅力を発信しよう!と活動を開始した。


大学の先生って怖い…?


岡村先生へインタビュー

今回、私がインタビューさせていただいた「先生」は鳥取大学地域学部地域学科国際地域文化コース所属の岡村知子先生である。文学の講義も担当されている為、講義を受けたことのある学生も多いのではないのだろうか。

私自身も文学に興味があり、先生の講義もいつもとても楽しみに聞いていたので、今回は岡村先生にインタビューの依頼をした。2022年11月某日、私は緊張と楽しみでグチャグチャになりながら研究室にお邪魔した。

以下の内容が岡村先生へのインタビュー内容である。


後日撮影させていただいた岡村先生

〇出身地、幼少期から大学進学までの過去

山口県長門市出身。車が必須な山中の田舎で育つ。3歳下に弟がいて、小さい頃から一緒に眠るときに母親の絵本の読み聞かせを聞いていた。その影響から本好きな子どもに育つ。

平凡な子どもだったが、先生の存在が好きでお手紙を書くこともあった。

高校生の頃は過食症気味だったり、友人関係に悩むこともあったが、県立高校卒業後は大阪府立大阪女子大学人文社会学部日本語日本文学専攻に進学する。

看護学校に進学、資格を取る同級生が多い中で自分は好きな分野に進んだこともあり、進路選択に関してはぼんやりとしていた。

〇ゼミと卒論の決定、博士課程に進むきっかけ

大学1、2年生の頃に受けていた日本近代文学の先生の授業に感動し、ゼミを決定する。偶然その先生の指示で戯曲家・久保栄氏の「火山灰地」という戯曲をコピーしている際に、作品に対してビビッときた。日中戦争の影響で検閲が厳しい中で、弾圧を受けていたマルクス主義者の久保栄氏が自分の言葉を同世代の人間に伝えようとした姿勢に興味が湧く。

それまで文学作品は現実逃避の役割として扱ってきたが、それだけではなく、文学作品の力で現実をより良い方向に変えていく可能性があるのでは、と考えた。ゼミの先生もそうした観点から授業や研究をしていたため、自分も論文を書いてみたいと思った。

卒論に取り組む中で、修士課程に進むことを勝手に決めていた。実家は経済的に余裕がなく奨学金を貰わなければ学費を払うことができなかったが、やりたいことがあれば、と許してもらえた。

大学院生の時に、卒論を大学の研究雑誌に載せてもらうことになる。自分が書いたものが活字になることがとても嬉しいと感じた。同時に取り消すことはできない、また死後も文章は残ることに怖さも感じたが、自分の考えを公的な場に差し出すこと、また内容に全責任を負うことに初めての経験だと感動する。他の研究者に自分の意見を評価してもらうことも新鮮だった。

不平等な世界の中でも、研究というフィールドで活字化するうえでは東大の名誉教授も、しがない院生も対等な関係であること、そしてその中の一員になりたいと気付く。


真面目な学生時代を送っていたんだろうな〜

〇どのような勉強や経験がフェミニズムな考え、講義で取り扱う内容につながっているのか

実家にいた頃に母親が休んでいる、横になっている姿を見たことがない。

自分が怠け者である部分があることと同時に、なぜそこまでして働き者なのか理解できなかった。今思えば、古い価値観が残っている田舎で嫁は労働力であり、祖父も父親も、母親を働かせたかった。母親が病気になっても入院となれば労働力がなくなるため、病院に連れて行かなかった。一種の人権侵害で、自分はそうなりたくない、陥りたくもなかった。

また、他者に強制したくない、他者から強制されたくない。恋愛観でみても、制度としてメリットがあるのであれば利用するという立ち位置ではあるが、強制されるということで結婚はしたくない。

養子縁組も考えたが、子どもを育てることはエゴであり、その点でも強制につながるのではという考えに至る。

講義内容に関しては、過去にジェンダー論に関する文学作品を取り上げたところ、反発も大きかった。しかし、ジェンダー平等が到来しない現状を鑑みるとフェミニズム的な観点の作品を取り上げることはやめない。

〇岡村先生の日常生活

地域学部の先生の多くはフットワークが軽いが、自身は真逆で、極端に言うと一人でも多くの人と会いたくない。人に興味がない、嫌いということではなく、基本的に分かり合えないとする他者が怖い。(講義も一方的に授業という「暴力」をふるっている為、いつ刺されてもおかしくないという覚悟で取り組んでいる)

生活に関しては、学校から徒歩10分の場所に住んでおり、生活圏が本当に狭い。いちばんの趣味は読書の他に、中身は人様に言えないが妄想をすること。お金もかからないし、家事の合間にしている。

一方で、寂しい、孤独と感じる時もある。孤独死すると思っているが、「孤独死する人を救ってあげないと」という意見には反対である。人の死に方は固有の経験であり、孤独死自体にレッテルを貼ることに疑問を覚える。地域での看取りもかけがえのないものかもしれないが、そうではない死もあって良いのでは?

この歳になると死を考えることもあり、シャンプーや洗剤を買い貯めてもこれを使う時まで生きていないかも…という考えから日常生活ではストックを貯めることができない。結局すぐなくなって買いに行く。無駄の多い生活である。

学生に声をかけられるとすごく嬉しいが、自分からは声をかけられない。

大学の教員は境目がない働き方なので、休日であっても時間をつくって学校の仕事をする。平日でも授業がない日は家で「ウウ~」とふて寝をしてみたりもする。


岡村先生の研究室はいつも片付いていて、とてもスッキリしている。

〇今後、国語教育の分野において文学をどのように扱ってほしいのか

文学作品のような虚構の物語を深く読んだところで、金儲けや資格など実用的なものには繋がらない。しかし、虚構の作品の中で生きている虚構の登場人物の言葉、生き様、存在感から生まれる命を尊重できるのであれば、リアルで生きる生身の他者も尊重できるのではないのか?そして生身で生きる他者を尊重するということはどんな社会、時代でも必要なことであり、そうしたことができる人が一人でも増えれば良いと思う。

そうした点を踏まえて、文学作品を読むことで自身の価値観、考え方に繋げて欲しい。他者を他者として尊重するには時間がかかるかもしれないが、文学作品が一つのきっかけになるのではないのか?

また、言語で表現されていることの背後には、語りえぬ情報が膨大にある。

語られたことは限られた情報でしかないが(語ることが虚しいわけではない)、日常生活自体が語られる情報(ここではコミュニケーションを指す)のみでも成立、また批判する中で、そこから零れ落ちる言語化されないもの(語りえないもの=文章)の闇の深さを感じ取ることができる。

こうしたことも学校教育では必要なのではないのだろうか?

また、理系分野で新しい技術やツールを開発する際には人間のより良い生活の為であって最初から軍事目的に、人を傷つけて収益につなげるという研究はめったにないと考えている。しかし、開発したものを「武器として使える!」という考えから実際に戦争に利用してしまうことを止める、してはならないという倫理観は文系で培われると考える(=他者を尊重する)理系からどんな便利な発明が生まれても、それを軍事目的に使わないという発想を文系で培うことが必要であると考える。

国が戦争をしようとする場合には、国家と闘わなければならないが…。


おわりに

以上が岡村先生へのインタビュー内容である。インタビューということで対話形式で記事を構成したいと考えていたが、膨大な文章量になってしまうので、今回は、聞き書きのようなスタイルでまとめさせていただいた。

皆さん、特に学生はこのインタビュー内容を読んでどう感じ、考えただろうか?普段の講義ではなかなか知ることのできない情報に加え、岡村先生ご自身の考えや信念など、深くお話を伺うことができたと私は強く思う。

そして、私達は毎日何気なく受けている講義に対してどう捉えているだろう?

真剣に講義を受ける学生、友達とお喋りをする学生、居眠りをする学生…どう講義を受けるかは個人の自由かもしれないが、「先生」は大学の講義にとどまるのではなく、覚悟を持ち、その先の将来にまで目を向けている。

「先生」と同じ熱量を持て、というわけではないが、そうした「先生」の講義や私達学生、これからの子ども達に対して考えていることを知っておくことに損はない。特に、インタビューの最後の内容については私のお気に入りであり、そして決して見て見ぬふりをしてはいけないものだと捉えている。また、学生の皆さんが自分が何を目的にして何を学んでいるのか振り返る良い機会になるだろう。

ついでに言うと、これからゼミ決定や卒論内容を考える学生にとっても有益な内容だったのではなはないかと思う。今回のインタビュー内容を通して、鳥取大学の「先生」について興味を持つことが出来ただろうか?興味深い内容だったとインタビュアー本人は思っているのだが、読者の皆さんはどうだろうか?

ぜひ、気になっている「先生」がいれば研究室に行ってみよう。私達が思っているよりずっと、おもしろい「先生」かもしれない!


突然のオファーを快く承諾してくださった岡村知子先生、本当にありがとうございました!


 © 小笠原 拓 2015