これはちょっと「インスタ映え」とは言えないか…(写真って難しい!)
久しぶりの記事なのに…
いきなり言い訳から入って申し訳ないが、いつもこんな授業をやっている訳ではないし、そもそも「インスタ映え写真を撮る」みたいな課題を出した訳でもない。ただ、ある課題をやってみたら、結構「インスタ映え」っぽい写真が提出されたので、ちょっと記事にしてみたいと思ってしまったのだ。
という訳で、お願いだから「学生が授業でこんなことやって遊んでいるなんて怪しからん!」みたいな苦情だけは勘弁して欲しい。
どんな課題を出したかというと…
学生に出した課題は、「事前に教員(つまり私)が教科書などから選択した20首ほどの和歌もしくは短歌から最も気に入ったものを選び、その歌のイメージにぴったりの写真を20分以内に撮影してくること」というものである。
言葉とイメージの関係性について考えつつ、歌についての解釈や批評的な言葉(学生は何でその写真を撮ったか説明しないといけない)が、自然に生まれてくるような場を設定するために構成された言語活動である。
この活動、場面の設定の仕方や、出題する短歌・和歌の違いによって、中学校や高校の国語科の授業でも実践可能である。私の授業は中学や高校の教員を目指す学生が受講しているので、学生たちが将来授業者になることを想定すると、こういう課題も学習内容として非常に重要なのである。(以上、言い訳終わり。)
思った以上にインスタ映えでは??
小見出しを二つも使って、全力で言い訳をしたので、早速学生たちの撮ってきた写真を見てもらいたい。
夏と秋と行きかふ空のかよいぢはかたへすずしき風や吹くらむ 凡河内躬恒
「すずしき風」が感じられるのでは?
この課題を行ったのは10月の末で、実際には「夏と秋と行きかふ空」というよりほぼ秋なのだが(あえてこういう意地悪な歌を出題している)、緑と紅葉のコントラストが見えるところを切り取ることで、歌の雰囲気を表現しようとしているようだ。
歌の解釈もさることながら、景色の切り取り方も中々のものである。私が思わず「インスタ映え」と言いたくなった気持ちが、少しはわかって貰えただろうか?
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 若山牧水
「染まらない」強さをもつものは…
これは中学校の国語の教科書に必ずと言っていいほど載っている歌なので、知っている人も多いだろう。撮影した学生曰く「紅葉している木々の中で数少ない常緑樹の松の木が『染まずただよふ』というイメージと重なったので、このような構図で撮影した」とのこと。
個人的には、真ん中の鉄塔が「青空の中の白鳥」のようにも見える。何れにしても、切り取り方次第で、普段の大学ではないような、不思議な雰囲気が漂ってくるのが面白い。
草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり 北原白秋
確かに「ちるがいとしい」風景である。
やはり写真で表現しやすいということもあって、この課題を出すと、色のコントラストをテーマにした歌を選ぶ学生が多くなるのだが、これもそういう歌の一つだろう。
先ほどの写真の「紅葉の中の緑」とは逆で、今度は「緑の中の赤」を見事に切り取っている。しかも赤はまさにこれから散ろうとしている訳なのだから、ある意味「ちるがいとしく」にも重なっており、解釈としてもユニークなものになっている。
同じ短歌でも…
授業では、限られた時間の中で作業を行うために選択する対象の歌を絞っているが、その結果、異なる学生が同じ歌を選んでしまうことも少なくない。
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ) 栗木京子
「時の流れ」を感じさせる一枚…
この歌は、切ない感じがストレートに伝わるので、比較的学生に人気が高い。この写真では、真ん中の時計に「観覧車」と「思い出」という二つのイメージを重ねたという。更に、「秋の物悲しさ」によって、想いが通じ合っていない二人の関係を表現しようとしたとのこと。確かに、時の流れの切なさのようなものが感じられる一枚になっている。
あなたには観覧車が見えますか?
一方、全く違った解釈で、教室のみんなを驚かせたのがこの写真だ。撮影した学生たち曰く、「蜘蛛の巣が丸いことから観覧車をイメージした。蜘蛛にとっては一日分の食事に過ぎないかもしれないが、捕らえられた虫にとっては一生分の恐怖がここにある」とのこと。淡い恋愛の歌が一気にホラーになってしまっている。写真と解釈によって、むしろ歌の方が「インスタ映え」しているような感じだろうか。
「映像で語る」ための方法とは…
学生たちの写真を見ていて驚かされるのは、そもそも彼らが写真を撮るのに相当慣れていて、映像によって表現するということに、照れや躊躇があまり感じられないことである。スマホ片手に普段から写真を撮っている世代との間に、確かなジェネレーションギャップを感じずにはいられない。
噴水が輝きながら立ち上がるみよ天を指す光の束を 佐佐木幸綱
まさに「光の束」というイメージそのもの!!
撮影した学生は、この日がかなりの抜けるような晴天こともあって、外に出た瞬間に「光の束」を感じ、このような写真を撮ったという。それにしても、写真上部の光の感じは、普通に撮ったのでは撮影できないのではないだろうか?実際「アングルの調整に時間をかけた」そうだ。ここまでくると、ちょっと感心させられる。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 俵万智
写真一枚だけなのに、前後のストーリーが見えてくる…
この写真は、本人が書いた歌の解釈をそのまま引用しよう。
「冬の寒い日に両思いだがまだ付き合っていない男女が一緒に帰っている時に、『寒いね』と言い合って照れ臭そうに手をつなごうとしている。今まで言えなかった気持ちを冬の寒さに後押しされながら打ち明けることができ、(同時に)『あたたかさ』を手に入れることができるから…」
あまり余計な言葉はいらないと思う。よくぞここまで想像し、かつ写真にしたという感じである。ちなみに写っている手は両方女性なので、片方の影を男性のように見せることに苦心したそうだ。
君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く 額田王
いつもの教室とは思えない雰囲気が漂う…
最後の写真は、まさに「これぞインスタ映え!」という感じの作品である。まさか千数百年以上前の恋の歌が「インスタ映え」に繋がるとは、額田王もビックリであろう。学生曰く誰もいない教室で写真を撮られるのは、「寂しいというより恥ずかしかった」とのことだが、さりげなく隣の席を眺めながら、しっかりと「君待つ」様を表現している。撮影者と被写体の見事な協力による「インスタ映え」写真である。
そもそも「インスタ映え」ってなに?
という訳で、鳥取大学の中でも、ちょっと視点を変えれば、意外な「インスタ写真」が撮影可能ということは十分理解して貰えたのではないかと思う。
まぁ、ちょっと言い過ぎということはあるかもしれないが、その辺りについては、久々の記事(おそらく3ヶ月ぶりぐらいなのだ!!)なので、多少大目に見て欲しい。
ちなみに、冒頭の写真をみてもらっても分かる通り、そもそも「インスタ映え」の意味を私がよく分かっていないという可能性もあるが、そこも、ちょっと目をつぶっておいていただけると大変ありがたい。
いずれにせよ、ありふれた日常の風景の中であっても、解釈や想像力(もしくは妄想力?)によって、魅力的な「インスタ写真」が撮影可能なようなので、ぜひ、皆さんも挑戦してみてほしい。
最後に、記事作成のために写真や解釈の転載を許可してくれた学生のみなさん、本当にありがとう。みんなのおかげで久々に記事が書けました。これに懲りず、残りの授業も頑張りましょう(笑)
協力:2017年度後期「国語学習指導設計Ⅰ」受講者のみなさん